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海苔の本場「東京湾」

栄養分豊富な河川が流れ込む東京湾は、昔から海苔づくりに適した場所でした。意外にも海苔の歴史は江戸時代の東京湾にはじまり、そして全国に広まっていきました。千葉県新富津では海苔の本場で200年の伝統を受け継いでいます。
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新富津漁協 小泉代表理事組合長

「香り、色、つやは日本一だと思っています。香りだけは東京湾は他の漁場には絶対負けない、自信があります。」
東京湾低層部には夏場のプランクトン発生により栄養分が蓄積されます。その栄養分が波浪や海水温の変動による上下混合で、漁場に補給されるのです。河川だけに頼らない栄養源が東京湾にはあり、それが枯渇することはめったにありません。

富津岬の南側に位置する新富津漁場。南風が強く、海が荒れやすい過酷な環境は、もともと海苔の養殖には不向きだと言われていました。過酷な環境に屈することなく、独自の技術開発を続け、現在は千葉県下屈指の有力産地となりました。

技術革新とこだわりの養殖

海水温が低く安定した秋、海苔の養殖が本格的にスタートします。かき殻で生育した胞子をつけた網が漁場に張られ、海苔芽の生育期間中は毎日天日にさらす為、海水から網を干しあげて、丈夫な海苔に育てます。
「だんだん干しあげる時間を長くする、子どもを育てるように、丈夫に育つようどんどんきつくする」
海苔は本来、潮間帯に生息する生物。水深の深い漁場をできるだけ自然に近く海苔の生育に適した環境に再現します。自然な潮の満ち引きを再現するため、干しあげる時間は毎日変えています。
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わが子を育てるような感覚で海苔づくりをしているという大草理事

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1つの漁場で約1,000枚もの網を使用します。

そして海苔芽が1cmほどに育つと多くの網は種網として冷凍保管されます。海苔の生命力は強く、マイナス30℃の状況下でも死滅することはありません。この冷凍技術を用いて、新富津では種網を頻繁に張り替えます。海苔は一度刈り取られてもまた成長するため、通常は一枚の網から何度も摘採されますが、回数を重ねるごとに硬く、色が薄くなっていってしまいます。網の張り替えを何度も行い、常に柔らかく新のりに近い海苔を生産する、これが新富津のこだわりなのです。
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海苔網の下にカッターの付いた船を潜らせ、海苔を摘採していきます。

気を抜けない最終工程、緊張の一瞬

漁協での仕事は海苔の養殖、摘採にとどまりません。養殖された海苔は陸(おか)に運ばれ、組合員それぞれの作業場で細かく裁断した後、抄いて板状に成形されます。
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簾の上に海苔を抄き、乾燥工程に入ります。

「その年初めて海苔を板のりにする日は一番緊張しますね」
「海苔作りは引き算なんです、いかに減点を少なくするか。100点の海苔がとれても、100点の板のりにはなりません。」
板のりを製造する作業場の風向き、気温、湿度さえも海苔の出来を左右します。

作業場の仕事は組合員の奥様が行うことが多いことから、「良い夫婦関係がないと、いい海苔は作れない。海はとうちゃん、陸はかあちゃん。」という格言が地元にはあります。その時採れた海苔質に合わせて、湿度や温度を調整し、2時間かけてじっくり乾燥させます。

江戸の旨味を未来へつなぐ

板状になった海苔は漁協を離れ、加工場へ運ばれ仕上げの焼き加工に入ります。
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香ばしい香りをまとい、焼き釜から出てきた海苔。

「柔らかい一番摘みには特に気を遣います。一枚一枚ずつ丁寧に、焼き加減は他の海苔に比べて慎重になります。」とこだわりを語ってくれたのは丸善海苔加工販売㈱佐倉工場の浅野さん。
焼き釜の温度や時間を誤ると、海苔本来の香りや旨味が損なわれてしまいます。
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焼き工程を終えた海苔は1枚1枚、専任の検査員によるチェックが行われます。

新富津漁協は全国でも珍しく若い後継者が多くいます。「お客様に良い海苔を食べて知っていただくこと、それはこの産業を守り、次の世代に残していくということ。そのためには労力を費やしてでも、美味しい海苔を作っていく」と小泉組合長は語る。
すべては心の贅沢を味わっていただくため。
日本一の香りと江戸時代から受け継がれた伝統の旨味をぜひご賞味ください。


商品情報

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商品名
一番摘み 焼海苔 千葉県新富津産
原材料
乾のり(千葉県新富津産)
栄養成分値 2切10枚(15g)1袋当たり

エネルギー
28kcal
たんぱく質
6.2g
脂質
0.6g
炭水化物
6.6g
食塩相当量
0.2g

加工・製造場

会社名:丸善海苔加工販売株式会社 佐倉工場
所在地:千葉県佐倉市大作2-1-2
※尚、2019年7月以降は以下の工場にて加工・製造を行っています。
会社名:株式会社 平成小善食品
所在地:千葉県八街市八街は19番地